私のひとりごと一覧

「自分を愛せますか?」

私は、小さい頃クラスのお友達が他の子と仲良くしているのに嫉妬したことがあった。そして、その子が好きでずっとお友達でいたいのに、「あなたなんか嫌い」と手紙に書いたことがあった。「だめ!私以外の人に関心を向けないで!」と、相手の自由意志に挑戦して、相手を変えようとした。これが嫉妬の表れだ。自分を変えずに、相手の態度に期待する受け身の姿勢である。その心の裏には、自分には自信が持てない為、自分が安心できるかできないか、ただそれだけなのである。

自分が不安な人は、自分を愛せないし人も愛せない。だから、自分が安心するために相手の愛を自分が安心できるものに変えていこうとする。つまり、相手の期待に応えようと努めて、相手に求められたらそれに応じる関係が生まれる。だから、安心が得られないときは「嫉妬」となる。

自分を信頼し自分を愛せる人は、相手の自由な気持ちも同時に認めて受け入れられるはずだ。

私は、幼少期から親に愛されている安心を得るために、親にとって都合のよい自分を演じてきた。自分に自信がないから必死でまわりに気に入られることや勝ることだけに必死だった。

「本当は不幸であった自分」を知ることが、心を軽くするための第一歩なのだ。苦しさの奥にある「本当の自分」を発見して「愛すること」だ。そんな自分を愛しく思うこの頃である。

 


「自分の本心を曲げない生き方」

私達は生きていく上で、当然ながら自分を守ろうとする。しかし、それが自分の本心なら自分で納得して生きていける。しかし、本心を折り曲げながら、ねじ伏せながら生きていると勿論自分を褒められないばかりか、ふがいなさや無力感に押しつぶされて結局は自分自身を責めてしまうだろう。そうなると、自信喪失になり鬱状態に陥る。

本当の自分の気持ちを無理矢理折り曲げることは自分が自分である必要がないと言っているようものなのだ! ある人が言う「このまま親の言いなりになって一緒に暮らしているとダメになるのはわかっているんです。でもできないんです。早くこの病気が治ったら自立したいと思うのですが・・・」

ある人を失いたくないために自分を折り曲げることは、その人に対して自分の存在が意味を持たないと言ってるのと同じなのだ。自分をごまかして当然のように生きている。

本心で生きていないから、心の中に不具合が生じる。そして、心の中は怒りに変貌する。失いたくない人に怒りをぶつけられないから、都合の悪い怒りは抑圧されるのだ。そして、自分に返ってくるのだ。

自分を傷つける行為を続けていけば、当然、暗く重たい憂鬱な人生が待っているであろう。しかし、自分を愛する行為を続ければ、自ずと自分の存在を無条件に愛することができるだろう。そして、生き生きした力強い人生を送ることができるであろう。自分を傷つけて自信喪失にさせるのは自分であることに気づいて欲しいと思う。

 


「褒められるより、褒めている自分が成長する」

 人が集まっておしゃべりが始まるとどうしてもアンバランスになりがちだ。話好きな人はたくさんお話をする。しかし、悩み事を抱えていたり、自己否定感が高い人はつい聴き手にまわりがちになりやすい。そんな場面で話を振ってくれる人がいると場は一変して和やかになるものだ。人は雑談にしろ、自分の思いを話すことで気が晴れるのだ。

 ただ、そういったコミュニケーションにおいて、できるならば相手を思いやりお互いに情を通いあわす会話を心がけたい。人は褒められて嫌な人はいない。しかし、人から褒められるよりも、個性をもつ相手の素晴らしいところを見つけて褒めることを心がけられれば自分の成長にもなるのではないか。褒めることを通して、お互いに自己肯定感がもてる良好な人間関係が築けるはずだから・・・。

 

 


「耳を傾けて、互いを思い、支え合う大切さ」

 

コスモス, 秋, 空

秋も深まり、実りの多い季節となった。果たして自分に実りはあるだろうか??

生き物の三大原則は「生む、食べる、死ぬ」であり、その原則に人間らしさを与えるのが「言葉」なのだとジャーナリストの見城美枝子さんは言う。ここ最近、LINEのやり取りで色々と考えさせられることがあった。離れた者同士でグループを作り、そのグループでのLINEメールによる出来事である。一人が自分の意見をグループに送るとその意見に対して反論が送られてくる。自分はそんなつもりで言葉にした訳ではないが、頭ごなしに攻められた。そして、それに同調する者がこぞって責め立てる。「違うよ!」「間違っているよ!」「そういうことじゃないのよ!」と真っ向から切り捨てられる。容赦は無いのだ。自分の思いを否定され意図する思いを読み取ってもらえない悲しさ、そうじゃないんだと内心思ってみても、違うように受け取られたショックは大きかった。よくよく思えば無意識の中で、そうなることは予感していた自分がいた。歪んだ関係だとお互いがお互いを素直に受け取れないことが起きるのである。しかし、お互いの話を促進的に耳を傾けて聴く。そして、本音でぶつかり合いお互いの関係性を深めていく。この行為が人間にはできるのである。

 私自身が邪な考えをもたずに、素直に、相手を思いやり、平和的関係性を大切に、自身が信頼してもらえるような人間でありたいと痛切に思ったこの頃であった。

 

 


「話すことは思いを放すこと」

タンポポ, 空, 花, 自然, 種子, 植物, スプリング, クローズ

この頃は、顔の見えないコミュニケーションが浸透してきている。確かに私も気軽で便利なものだと思う。しかし、体と切り離された場所から声や文字だけが見えるというコミュニケーションだけでは、その能力は育たないことだ。それは、私自身がカウンセリングで、顔の表情や声のトーンなどから相手の見えない心が酌み取れるからだ。赤ちゃんはお母さんとのふれあいからコミュニケーション能力を高めていく。つまり、顔を突き合わせて会話をする。この行為が人間らしさを発揮できる場面である。人は皆思いをもって話す。そして、離したい思いを放つのだ。殺伐とした人間関係にならないように、これからも色々な方達と顔を突き合わせながら成長していきたいと思う。