私のひとりごと一覧

変えることは悟ること??

自分を変えることが早道とわかりつつ、つい他人を責めてしまう。

そして、また自責の念に駆られる。

この繰り返しでなかなか抜け出せないのも確かなのではないだろうか。

それぞれが幼少期の経験で学んでしまった思考回路が、後々の人生に大きく作用することは確かである。

いわゆる元素を持ちながら、小社会から大社会へ参加していく。

大きくなればなるほど、交わすすべも見つけて、なんとなく自分なりに自由に生きていけるのである。

しかし、元素ができた幼少期のまま(家族)の環境に身を置いたときに素の自分と向き合うことになる。

つまり、その頃に学んで救われなかった自分の感情や思考と向きざるを得ないのである。

そして、その自分を変えるというよりもその自分を知るそして悟ることなのではないか。

「悟りをひらく」ことは、こだわらない、偏らない、とらわれない心であろうか・・。

感謝しているけれど、・・・と言い訳がでる。

まだまだ変えられずにいる自分があるようだ。

あぁ、まだまだ・・・日々反省、日々精進である。


心の叫び

ある方がささやいていたお話を思い出して、ふと自分に置き換えてみた出来事がある。

そのお話とは、自分はいつも脇役になってしまう運命なのかと涙すると言うことなのです。

家族のため、姉弟がうまく仲良くできたならと、いつもなぜかわからないけれど一生懸命になってやっていたというのである。

でも、いつも家族が集まるとなぜか自分だけがつまはじきになって話題の中に入れない環境になるという。

しかし、いじけたらダメと奮起して笑い、うなずき、話に加わろうとするのだけれど・・・

いてもいなくてもいいのかなという感じになり、いつしか悲しさと苦しさと切なさと腹立たしさと訳のわからない感情が湧き上がり、ただただ泣けてくるのだというのである。

痛ましい心の叫びを感じたのである。

自分自身にネガティブをポジティジブに変える事で必ず道は開ける。

しかし、計り知れない生き様を聴くたびに、そんなに簡単に切り替えられるものではないし、それを引き受けてまた持ち続けて生きなければならない。

心はそんなに簡単には動かない。

動いたとしてもまた心癖がでてしまうのである。

どう切り開くかは自分である。

そんな時に大切なのは、心を開ける人を持つ事なのではないかと切に思うこの頃である。

そんな一人になれているのかと自分を律するこの頃である。


人から学ぶことの大切さ

なかなか人との関わりの中で、誤解が元で関係性が崩れる例は多々ある。

「そんなこと言ってないのに??」「なんで自分ばかりが一人責められるの??」相手に誤解を解こうとしても解決の糸口が見つからないまま悶々と過ごしてしまう。

ある時「あなたには私たちの気持ちなどわかることないわよ」と言われたことがあった。

辛かった。かなり心が折れた記憶がある。

言いたかった「それじゃあ。あなたは私の気持ちわかるの」「私をどう思っているの」なぜ、そんな言葉がその人からでたのか。

人は自己否定感に苛まれると人に対して攻撃してしまいたくなる。

それがどうしようもない事態になればなるほど強くでる。

気にしてしまう自分をまず振り返った。

確かに自分の中に言われた相手に対して自己否定感に苛まれていたことに気づいた。

「そうやってやはり私を否定するのか」という思いである。

そして、今まで抱えていた自分の中にある否定感を肯定感に置き換えた。

私にはわかるが、相手にはわからないことがある。

相手にはわかるが、私にはわからいことがある。

要はそんなところで心を痛めるのはばかげているのである。

自分に言い聞かせた。

ここまでの道のりをどれだけの人にわかってもらって慰めをこうことではない。

自分がわかることである。

そして、心に刻むことである。

一生懸命生きてきたし、生かされている今があることは皆お互い様。お陰様である。

こうしていられることへの感謝のみを心に刻んで。


1日は貴い一生

ある本の「たった1%を誰かにあげることが、健康長寿の秘訣です」というみだしが目にとまった。

内容は、自分中心に生きているお年寄り集団と、ほんの少しだけでも社会貢献を心がけるお年寄り集団を4年間、観察したところ、後者の方が40%、高血圧の発生率が低かったとあった。

つまり、他人に力を貸すことがかえって自分の健康や長生きにつながることが科学的に証明されたのである。

「させてもらって嬉しい。それは自分のためになっているのだから・・・」と利他的に生きることで、人間関係にも好循環が生まれるのである。

キリスト教思想家である内村鑑三氏は、「1日は貴い一生である。これを空費してはならない。」と1日の大切さを語った。

「一日一善」お陰様を忘れず感謝して過ごそうと改めて心した瞬間である。


感動しよう

新緑が光にあたってとてもすがすがしい気持ちになる。

一年で一番すがすがしい季節ではないか。

今年の桜は雨続きもありゆっくりとお花見もできずに散ってしまった。

とても残念である。

ふと、桜に思いをよせてみる。

桜の花は一年かけて実らす。

しかし、我々も綺麗な花がいつか散ることを知っているから綺麗で尊いものと思えるのではないか・・・。

一年中咲いて一年中葉も散らずにいたらどうか。

たぶん目もくれないし感動もないであろう。

私たちも一瞬一瞬の時を過ごして生きている。

生きている限り同じはないのだ。

成長している。

感動しよう。

小さなことやものを見て感動しよう!

感動は心を動かす。

そして、自分を素直にさせてくれるはず。

今日、めだか鉢の中を見ていたら卵を見つけた!

この小さな世界でも一生懸命生きているんだなぁ・・・。