悪態をつかれていると思え

このことばは私が最近気に入っている言葉である。

衝撃的であった。

自分は、勿論悪態をつかれるように振る舞うことなど考えてもいないし、悪態をつかれるだろうともあえて思わないところで生きてきた。

しかし、悪態をつかれていることを思っていないから思っていると反応を転換することで、随分自分への意識が変わったのである。

自分への戒めであり、人に対する尊敬、感謝、謙虚を導いてもらえたのである。

真摯にこれからも「関心」「感動」「感謝」の心を忘れずに生きていきたい。

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