私のひとりごと一覧

不満と不安

人はとかく相手の事が気になり出すと不平不満が口からこぼれる。

嫌だと思うと相手の嫌なところばかりが目についてそこばかりを口にする。

なんてことなかった相手なのに何かのきっかけでネガティブに気が変わる。

そして、不満を抱えたまま悶々と生きるのである。

自分が引き寄せていることにも気づかないでいるのである。

先が見えない不安よりも今の不満を選んでいると未来は無いのである。

自ら動けば必ず道は開ける。

そして、そこには未来がある。

私は「不満」でいるよりも「不安」を選ぶ。

そして、未来をつかみたいと思うのである。

変わりたいのであれば躊躇している場合ではない。

何があるかは分からない。

しかし、動いてみようではないか。

必ず道は開けるから。


心のふるさと

今年の夏にふるさとの花火大会に行ってきた。

日本の3大花火に評されるだけあり、それはそれは素晴らしいものであった。

13年前に人生の岐路に立ち、今の人生を歩みだせたのは、心のふるさとを持っていたからと自負する。

私が尊敬する先生が「箱庭の世界でこころのふるさとを持っている人はとても素晴らしいことなのよ」って言って下さったことがあった。

どこかで「一人じゃない」「一人でも平気」「常にあの場所があるから」と思える。

幼少期にいつも遊んだ近くの神社の境内には、必ず友だちがいてどこからともなくいつからともなくみんなで遊んだ。

幼少期はいつも周りには友達がいた。帰る家があった・・・。

私の心の中には四季折々の楽しかった思い出がいっぱい詰まっている。

しかし、今の時代をのぞいてみると・・・近くの公園や境内では子ども達の姿が消えてない。

夜遅くまで塾の明かりがついている。

携帯ゲームを片手に画面とにらめっこしている子ども達・・・。

この子達が成長して大人になったとき果たして「心のふるさと」を持っているだろうか・・・。

あるといいのだが。

どうも自分の立ち位置がわからなくてどう動いていったらよいのかわからない大人が増えているように思えて仕方ない。


変えることは悟ること??

自分を変えることが早道とわかりつつ、つい他人を責めてしまう。

そして、また自責の念に駆られる。

この繰り返しでなかなか抜け出せないのも確かなのではないだろうか。

それぞれが幼少期の経験で学んでしまった思考回路が、後々の人生に大きく作用することは確かである。

いわゆる元素を持ちながら、小社会から大社会へ参加していく。

大きくなればなるほど、交わすすべも見つけて、なんとなく自分なりに自由に生きていけるのである。

しかし、元素ができた幼少期のまま(家族)の環境に身を置いたときに素の自分と向き合うことになる。

つまり、その頃に学んで救われなかった自分の感情や思考と向きざるを得ないのである。

そして、その自分を変えるというよりもその自分を知るそして悟ることなのではないか。

「悟りをひらく」ことは、こだわらない、偏らない、とらわれない心であろうか・・。

感謝しているけれど、・・・と言い訳がでる。

まだまだ変えられずにいる自分があるようだ。

あぁ、まだまだ・・・日々反省、日々精進である。


心の叫び

ある方がささやいていたお話を思い出して、ふと自分に置き換えてみた出来事がある。

そのお話とは、自分はいつも脇役になってしまう運命なのかと涙すると言うことなのです。

家族のため、姉弟がうまく仲良くできたならと、いつもなぜかわからないけれど一生懸命になってやっていたというのである。

でも、いつも家族が集まるとなぜか自分だけがつまはじきになって話題の中に入れない環境になるという。

しかし、いじけたらダメと奮起して笑い、うなずき、話に加わろうとするのだけれど・・・

いてもいなくてもいいのかなという感じになり、いつしか悲しさと苦しさと切なさと腹立たしさと訳のわからない感情が湧き上がり、ただただ泣けてくるのだというのである。

痛ましい心の叫びを感じたのである。

自分自身にネガティブをポジティジブに変える事で必ず道は開ける。

しかし、計り知れない生き様を聴くたびに、そんなに簡単に切り替えられるものではないし、それを引き受けてまた持ち続けて生きなければならない。

心はそんなに簡単には動かない。

動いたとしてもまた心癖がでてしまうのである。

どう切り開くかは自分である。

そんな時に大切なのは、心を開ける人を持つ事なのではないかと切に思うこの頃である。

そんな一人になれているのかと自分を律するこの頃である。


人から学ぶことの大切さ

なかなか人との関わりの中で、誤解が元で関係性が崩れる例は多々ある。

「そんなこと言ってないのに??」「なんで自分ばかりが一人責められるの??」相手に誤解を解こうとしても解決の糸口が見つからないまま悶々と過ごしてしまう。

ある時「あなたには私たちの気持ちなどわかることないわよ」と言われたことがあった。

辛かった。かなり心が折れた記憶がある。

言いたかった「それじゃあ。あなたは私の気持ちわかるの」「私をどう思っているの」なぜ、そんな言葉がその人からでたのか。

人は自己否定感に苛まれると人に対して攻撃してしまいたくなる。

それがどうしようもない事態になればなるほど強くでる。

気にしてしまう自分をまず振り返った。

確かに自分の中に言われた相手に対して自己否定感に苛まれていたことに気づいた。

「そうやってやはり私を否定するのか」という思いである。

そして、今まで抱えていた自分の中にある否定感を肯定感に置き換えた。

私にはわかるが、相手にはわからないことがある。

相手にはわかるが、私にはわからいことがある。

要はそんなところで心を痛めるのはばかげているのである。

自分に言い聞かせた。

ここまでの道のりをどれだけの人にわかってもらって慰めをこうことではない。

自分がわかることである。

そして、心に刻むことである。

一生懸命生きてきたし、生かされている今があることは皆お互い様。お陰様である。

こうしていられることへの感謝のみを心に刻んで。