私のひとりごと一覧

「運命の捉え方」

カウンセリングにおいでになられる方は、まさに自身の運命と立ち向かっている状態にある。

「今の状況をどう捉えて生きていったらよいのだろうか?」

「どうしたらこの苦しみから逃れることができるのだろうか?」

「どうしたら前向きに生きていけるのだろうか?」

誰しもがこんなことに悩みながらぶつかりながら、今という時を過ごしているのではないだろうか。

自分の今まで辿ってきた道を振り返ってみる。

理不尽なことが目の前に起きた時と、自分が自ら苦難に立ち向かった時とは明らかに心のよりどころが違う。なぜこんな運命に遭うんだろうか…と結果に縛られる。

しかし、思うのだ。結果は事実であり、まずその運命を受け入れる。そして、そこから自由に自身が進む道を選ぶ。つまり、発想転換をすることで苦しみは消えていくのではないかと。

運命を認めながらもその中でどう生きるかは自分次第だ。運命によって人生が決まっているなどどうでもよいのだ。超然とした態度で生きる。

こんなことを思いながら今ある命に感謝して日々を大切に生きたいと思うこのごろである。

 


*足るを知る*

2023年(令和5年)になり過去を振り返る。2020年の大きな節目を機に劇的な変動がおきていることを感じながら、どうすることもできない無力さを痛感する。

生活の合理化と発しながら、「動かなくていい」「やらなくていい」「言わなくていい」「使わなくていい」と、私たちの生活は増々便利になっている。しかし、置き去りになっているのが目に見えない「心」だ。自然や動物との触れ合い、人との触れ合い、そんな関わりの中で育まれる「やさしい思いやりの心」だ。自分で自分の心をコントロールできなくて荒んでいく姿をみると悲しい思いになる。

「足るを知る者は富む」という言葉がある。足らないものや足らないことに気を寄せるのではなく、たりていることを知ってお陰様に感謝しよう!と思うこの頃である。


このごろ……

このごろ、よく父が生きていたころの姿を思い出させてくれる人に出会う。

言葉数の少ない父だった。自分の生い立ちや幼少期のことについて一切話そうとしない父だったが、高齢になってから「小さい頃は成績が良かったから、先生がひいきしてくれたなぁ」と、また、孫である私の息子が少年野球を始めたことで口にしたのが「少年時代は野球をしていてピッチャーだった」と。

そして、母から聞いたのは、「父の母親は父を生んですぐ亡くなってしまって、親戚のおばさんからお乳をもらって大きくなったんだ」と。

戦前戦中戦後と波乱な時代を生きてきた父  

書棚に置いている父の写真はやさしく微笑んでいる。


「やった方がいいこと」

普段から自分で気になった言葉や記憶しておきたい言葉があるとメモするようにしている。

そして、見つけたメモの見出しが「やった方がいいこと」とあり、

①親孝行

②常識を疑う

③努力を継続する

④苦手なことは諦める

⑤嫌いな人に近づかない

⑥自分で自分を承認する

⑦見返りを期待せず人に与える

これをやると人生が楽しくなる。

と記してあった。なるほど確かにと読み返してうなずいた。

 

 


何が一番大事で何をしたいのか?

春になり、暖かい日差しを浴びながら新しい芽が育つように、人間界も新しい人間関係が始まる。

ある人からこんなことを聴いた。

組織を良くしていくために、お互いに意見の相違はあるが、お互いに譲り合いながら、たまには共感しながら、また相談しながら共に進むことが求められるのではないかと思っていたが、なかなか高圧的なものの言い方しかできない者とのチームとなると「協働」ということが難しく、ここ最近は、その人を思うだけで心臓がドキドキするのだという。

人というは、悩み苦しんでいる時が成長の時だ。

心の中はすでに、この高圧的な人に振り回されてしまっている。

その人と向き合うのではなく、自分の心と向き合わなければいけないのだ。

今自分にとって何が一番大事なんか?

そして、自分は何をしたいのか?

ただただ、それだけのために心を燃やそうではないか!

それが利他につながるのだから。